【小説】窓際のハナさんと和かふぇ

 


「諦めちゃだめだよ。くじけちゃだめだよ。ぜんぶ大丈夫だから」

ハナさんが私にそう言ってくれたあの日から、
この言葉は

わたしの胸の中に大事にしまってあって、

くじけそうなとき、
踏み出す足が重くなったときに、
ハナさんの声がどこからともなく
聞こえてきて、わたしを励ましてくれたー


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桜が咲き始めたころ、
私は自分のお店を持った。

ちいさな古民家を改装して
「和かふぇ ゆめはな」と名前をつけた
小さな食堂のようなカフェをオープンした。


店名の由来は、お店を開くという
「夢が花開いた」というところから、
ここにいらっしゃる方々の
どんな小さな夢でも叶ったらいいな、
という想いから名付けたもの。


夢だった、と言っても
小さなころからお店を持ちたかったとか
何店舗も構えるオーナーになりたいとか
そんな大きな志も野望も大してなく、

私が開業した理由というのは
もっとごくごく小さな気持ちからだった。

学生時代から特別なにができたわけでもなく、
短大を卒業して食品会社に事務職として
採用され、夢も希望もなく、
平凡な毎日を過ごしてきたところに

父が病にたおれ、
あっという間に亡くなったことで、

「人生はなんとあっけないんだろう」
と思う所から始まった。

父は長年、印刷工場で働いていた。

趣味は読書で、それが高じて
本に関わる仕事がしたいと、
出版社を何社も受けたが
内定はかなわず、

親戚の紹介で入ったのが
この仕事だった、ということだった。

父は仕事に誇りをもち、
休みの日には本を広げるたびに
この紙は良い紙を使っているだの
印字がどうのと、

本の感想よりも“書物そのもの”に
興味を持っているような人で

定年を過ぎ、「今まで時間がなかったから」と、
やっと母とふたりであちこち旅行を
楽しんでいた矢先に、

あっけなく私たちのもとから
旅立ってしまったのだった。


葬儀が終わり、四十九日も過ぎ、
やっと自分たちの生活のペースを取り戻し
少し落ち着いたころに、
母から一冊の貯金通帳を渡された。

「なに?これ。私の名前だけど・・」

「これね、お父さんが持ってたの。
やっと少し、お父さんの荷物を整理してたら
お父さんの机の引き出しから出てきたの」

父は今どきめずらしく、
背の低い木の机を愛用していて、
縁側のそばの日の当たる部屋で
よく読書をしていたのを思い出した。

私も母も、父の机など触れたことはなく、
家族と言えど、父の持ち物やカバンの中身などは
全く知らない物だった。

「お父さんの手帳、見て・・」

力なく笑いながら、通帳の横に、
母が焦げ茶色の細長い手帳を置いた。

手帳の端から少しはみ出すように、
写真が見えた。

見覚えのある写真。

白黒のそれは、
小さなわたしと、父を映し出していた。

「お誕生日おめでとう みっちゃん」
と書かれたプレートが飾ってあり、
父に抱き寄せられてケーキを前に
わたしがなんとも言えない顔をして
座っていた。

「なにこれ、わたし可愛くないなぁ・・」

「でも見て、お父さん、嬉しそう・・」

母がそう言った声は涙声で
わたしまでつられて泣いてしまった。

「お父さんと結婚したの早かったけど、
なかなか授からなくてね、、
おばあちゃんに意地悪を言われたり、
親戚のおばさんに色々言われたこともあったけど、
お父さんは気にするなって言ってくれて。
あなたが生まれた時、本当にお父さん
喜んでたのよ」

「それで・・見て?この通帳」

何冊も重なった通帳の
一番上にある冊子をめくると、
わたしが生まれその月から毎月、
お給料日であろう日に1万円ずつが
欠かさず印字されていて 

恐らくボーナスが出たであろう月には
いつもの金額より少し多くお金がはいっており、
ただの一度も出金した記録はなく、
規則正しい金額が毎月増えていっていた。


「これね、きっとお父さんがあなたの
結婚資金に貯めてたんだと思うの。
この前、いとこのかなちゃんの結婚式のときに、
伯父さんからみっちゃんは結婚しないのかって
お父さん言われて、結婚も良いけど、
あいつは好きなように生きてるからいいんだ、って。
好きなように生きたらいいんだって言ってたの。
いつするかわからない結婚資金なんか貯めてるより、
今好きなように生きてたらいいんだって言ってたわ。」

お母さんそれ聞いて笑っちゃった、
と言いながらまた少し涙ぐんでいる母がいた。

一息ついて、お茶をすすりながら
「お母さんもお父さんと同じ気持ち。
あなたが幸せだったらそれでいいし、
好きなように生きたらいいわ。」

私は長年うっすらと肩にのしかかっていた
重荷がおりた気がしてホッとした。

「ありがとう」そういうので、
精一杯だった。


結婚適齢期をゆうに超えても、
私は今まで恋人のひとりも
両親へ紹介したことがなかった。

仕事に燃えているわけでもなく、
寝職を忘れて夢中になっている趣味が
あるわけでもなかったし、
男性と縁がなかったわけでもないのだけど、

「結婚」というものにリアリティがないまま
気が付けば何年も恋人はおろか
デートさえしておらず、
結婚のケの字もない生活をしていて

自分の中では私の人生はこれでいいのだ、と
思っていたけど

両親はどう思っているのか
はっきりと聞かないままで、
心にいつも、少しの罪悪感を抱えていたところだった。

夢もない、生きがいもない、
愛する人もいない、

私は個性のない自分をどこかで恥じていたのだ。

それが今、そんなあなたでも大丈夫、と
両親に認めれらたようで思いがけず
涙がとまらなくなってしまった。


「お父さんは結婚資金に、と思って
貯めていたんでしょうけど、
美智子の好きに使ってね。
その方がお父さんも喜ぶと思うの」

そう言って、母はお茶をいれに
台所へと席をたった。


その晩、久しぶりに実家の
自分の部屋で天井を見ながら

父の大きな愛と、それを受け取って
わたしがこれからなにができるのかを
延々と考えていた。






「好きなことを仕事にしよう」
「脱サラしてフリーで自由もお金も手に入れる方法」

次の日からなにかヒントを得ようと、
駅の近くの大型書店へふらりと寄ってみた。

「・・わたしには無理だなぁ」

どれも私には縁遠く思えて、
駅前の商店街を抜けて、
自宅までの近道の公園を歩いた。

実家を出て12年。
会社と実家の中間距離にある
自宅マンションは一人暮らしには十分な広さと、
買い物がしやすい立地環境にあった。

最近はどんどん新しいカフェや雑貨屋も
商店街や駅回りに増え、
住宅街の中には趣味がこうじて
お教室を始める奥様方も出てきたようで

静かな町の中がなんとなく
浮かれているようだった。

洋風のおしゃれなオーダー住宅もあれば、
日本の古き良き邸宅もあり、
緑もほどよく車も少ないこの地域を
わたしはとても気に入っていた。


散歩ルートにはお気に入りの花屋さんと
美味しいパン屋さんがあり、

そこに最近は
小さなケーキ屋さんがオープンして
私のお気に入りスポットが増えたのだった。


「好きなように生きたらいいって言われてもなぁ・・」

わたしはいつもの街並みを歩きながら
ひとり呟いた。


「みっちゃん!みっちゃんじゃない?」

急に声をかけられて顔を向けると、
そこには3歳くらいの大人しそうな男の子を連れて、
ベビーカーにスーパーの袋をぎゅうぎゅうに押し込んだ
小柄な女性がこちらを見て笑ってた

「あっ!え?もしかしてあいちゃん?」

「そうだよ~!久しぶり~!なにみっちゃん、
この辺に住んでるの??」

「うん、私はもう10年以上この辺に住んでるんだけど、
あいちゃんこそ、近くなの?」

「そうそう、旦那の転勤で地方行ってたんだけど
今年やっとこっちに帰ってきて、やっぱり地元が好きだから
こっちに家買って、半年前からこの先のマンションに
住んでるのよ」

あいちゃんは同じ吹奏楽部で、
明るくて誰かも慕われる天使のような子だった。

「ね、今はなにしてるの?」

あいちゃんは活発で、会話のテンポがいつも早い。
でも不思議と、人を心地よくさせる話し方をする。

「短大出てからずっと同じ食品会社に勤めてんだけど・・」

いつもならちょっと身構えて
なぜか後ろめたい気持ちを抱えながら
話すことも、

あいちゃんは裏表がなく、真っすぐに思ったことを
聞いてくるから素直に答えられた。

「ねぇ、その仕事って忙しい?」

「う~ん、いやそうでもないかなぁ。残業もほとんどないし・・」

「それならみっちゃん、私と一緒に働かない?!」

屈託のない飛び切りの笑顔で
そう言い放つあいちゃんは

まるで秘密基地を見つけた少年のように
キラキラした目をしていた。

「え?それどういう・・」

「あのね、私いまカフェをやりたくて、一緒に働く人を探しているところなの!!」


聞けばあいちゃんは
飲食店をいくつも手掛ける
ベンチャー企業に就職し、

時には自分もスタッフとして
調理場やホールに出て
お店をいくつも立ち上げ、運営をし
今は店舗マネージャーとして
同時にいくつものお店を見ながら
子育てもしているのだそうだ

「へぇ~すごいね・・」

わたしの素直な感想がこれで、
そこに自分の経歴との劣等感はなく、
純粋なあいちゃんへの尊敬と
羨望の眼差しだけだった

あいちゃんの華麗な経歴を聞いて
すっかりぽ~っとした私に

「仕事は楽しいんだけど、
子どもが生まれてから
私の人生これでいいのかな、って
思うようになったんだ。

この子と過ごす時間ももっと持ちたいし、
体力的にも今までみたいには
動けないなって思ってて」

あいちゃんが少しだけ寂しそうな顔をしていたのをみて、
私も自分の人生を言われているようで
胸がちくっとなった

「それで、今は独立してお店を出そうと思ってて。
ちょうど知り合いの不動産やさんが、
良い物件があるの教えてくれてね、
ここなら私の城にしてもいいかなって
思う物件だったの!」

そこまで話して、今まで大人しく
私たちの間に立っていたあいちゃんの息子くんが
あいちゃんの足にまとわりついて
目をこすり始めた。

「あ、たーちゃんごめんね、眠いね~~」
さっと抱っこしたあいちゃんは
わたしの方を見て、一瞬キリっとした目をして

「みっちゃん、私と一緒に働かない?
みっちゃんとだったら楽しく働けそう!
今の仕事楽しい?無理にとは言わないけど、
私はみっちゃんと一緒に働けたらすごく嬉しい!
いつもみっちゃんには助けてもらったし、
すっごく心強い!」

そこまで言ってあいちゃんは
にこっとまた最大の笑顔をして

「またよかったらゆっくり話そう!
今度はたーちゃんのいないときにでも」

そう言ってあいちゃんは
春一番のように私の目の前に
唐突に表れ、あっという間に消えていった。


あいちゃんに再会したあの春の日から
私の人生が音をたてて変わって、
あの時の私からは想像もしない人生になっている


ねぇハナさん、「幸せはいつも人が運んでくれる」
っていつも言ってたけど、

ハナさんに出会えて幸運も、あいちゃんっていう
天使が私の人生に運んでくれたんだね




つづく